2018年5月5日土曜日

獣道


いつの間にか冬を越えて、あっという間の春が通り過ぎて、夏の緑が息づいているのを感じています。
暖かくなったからベランダに出した植物たちも、なんだか生き生きしているように見える。
何かが変わったかというと、変わっていないようで変わっているようで。
この半年でつくづく感じたのは、変わる変わらないを他人の状況任せにしていた自分の弱さと空っぽさ。
私が求めているものは何か、私がめざしているものは何なのか、何になりたいのか、何がしたいのか。
答えなくてもいい環境に甘んじていたことがよくわかった。
隠れていた影がなくなって、剥き出しになって、恥ずかしくて痛くて辛かったけど、起こるべくして起こったのだとようやく思えるようになりました。
感情は簡単に消えるものでもないけれど、それも含めて自分の足で踏みしめていくしかない。
未来が見えないことに変わりはないけど、目を向けることを怖がらなくなった。
半年前を思えば今はそれで十分。

連休はとことん自分のために休んで、連休明けからまたがんばろう。

2017年9月11日月曜日

夜に向かって歩く


30歳になった今、ここまで将来がまるで見えない状況に陥るとは思わなかったし、明日の予測もたてられない現状を、せっかちな自分が我慢していることに驚く。
明日が見えないというのは、絶望的な気持ちのなかで毎日を生きる気持ちだけど、振り返ると案外美しい日々が散らばっていたりして、なんだか不思議な気持ちになる。
日々闇雲で、なんてしんどい年なんだと思いながらも、今年一年の幸せな記憶はたくさん残っている。

昨日と今日しか明確なものがないけど、一方で、過ぎたことは不変となるので、昨日にまで絶望しない様に、目の前のことに誠実に向かいあうしかないとひしひしと思います。
とりあえず、明日の仕事をがんばろう。

今年読んだ本でよかったのは、ジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」。
ちょうど同時期に森美術館で開催されていた「N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅 」と相まって、今年はインドに行きたい欲が高まった。
最近では、ケン・リュウの「紙の動物園」も素晴らしくよかった。
全て、移民であるとか、マイノリティー文化をマジョリティ文化の文脈に上手くのせているものばかりで、それでも皮肉的ではなく、愛おしい生活が描かれている。
この3つの作品群に出会えて今年は本当によかった。やはり文学も含めて芸術は人を救うものだと、今年は体感した。
私を私から遠ざけるものが、自分の生きている世界から遠ざけるものが、個人としても、社会としても必要なのだと思う。

2016年8月15日月曜日

昨日と明日をふりかえって


21歳から始めたこのブログも、とうとう8年目、29歳になりました。ハリネズミのちりめんは元気に4歳になりました。
大学生だったあの頃から、就職、そして一昨年は転職をし、3ヶ月ほど前には結婚をしました。

繰り返しやってくる明日は、おなじような毎日の繰り返しに思える時も多いけれど、この8年に起こった様々な出来事や、思考の道のりを考えると、ずいぶん遠くへきたもんだなんて、感慨深くもなります。

繰り返しやってくると当然のように信じられていた毎日も、大切に過ごさなきゃいけない1日だと実感するようになりました。
きっと年齢を重ねれば重ねるほど、その実感は強くなるんだろうと思います。
美味しいねと笑って言い合える毎日を重ねていきたいです。

すべての日が刺激的ではないと感じている退屈さは、本を読んで新しい世界を拡大することで解消できる、と改めて感じている最近です。
特にSFは旅行気分を味わえる。
今日はジョージ・オーウェルの『1984年』を読み終わりました。
彼の『動物農場』や、ウェルベックの『服従』、ロイス・ローリーの『ザ・ギバー』など、好きなテーマですが、最近はありえない話ではないように思えているところです。
社会を取り巻く価値観が明日1日ですべて変わってしまう、そんな革命のようなことは、もう起こりえないと思うけど、気が付いたらすべてが変わっている気がする、そんなことは1年後に起こっていてもおかしくない。

同じような毎日を繰り返していながらも、私自身や私が生きている社会は、動いているのだと、ときどき振り返らないといけないなと思います。
そんなわけで最近は年1回の更新になりつつありますが、このブログは続けていきたいなと思います。





2015年4月21日火曜日

迷子





現在開催中の芸術祭、パラソフィアに行ってきた。
京都市美術館の地下など、これまで展示に使用しているところを見たことがない場所を
展示場所として使用されていたり、見せ方の工夫がすごく考えられていたところが素晴らしかった。
しかし肝心の作品がそこまで面白く感じられず、少し残念というのが感想だ。
写真の作品はその中で好きだったもの。
(とはいえ一番上については作品でなく、京都市美術館の忘れ傘置き場。)

先日の混乱の話につながるけれど、混乱させるにも技術がいる。
ただの分からないことだけ投げられても、確かに混乱するけれど、
思考につなげられるほど粘着力のある混乱には至らない。
興味を抱くような、わくわくする混乱を与えるには、高いクオリティやセンスが必要だ。
パラソフィアの作品群にそこまで面白みを感じなかった、というのはそういう点だった。
よく分からない、それだけで終わってしまう作品が多かったように思う。
現代美術で、よく分からないものに出会うことは多々あるけれど、
よく分からない中には分からないなりに、興味を惹かれるものはあるのだ。
そこから、アートじゃなくてはいけない執念を感じられるのかもしれない。

この半年は、自分の仕事や職場についてひたすら考え、知らないことばかりな現状を打破すべく、勉強するよう心がけているけれど、今後もずっと執念を持ち続けていきたい。
疲れてしまわないように、諦めてしまわないように、
有終の美を飾るための仕事なんてせず、生き続けるための執念の仕事をしていきたい。

2015年4月18日土曜日

幽霊たちにまみれて

転職して、毎日のように良かった、と思うのは、夕焼けを見られること。
大きな窓から差し込む夕陽、積雪、野生の鹿(?)、満開の桜、桜吹雪、広い空、膝の上の野良猫。
四季を感じながら毎日を繰り返すって、とても大事だ。太陽を感じないと体が弱る。
そしてとうとう春がきた。春はもう世界の匂いが違うのだ。おなかいっぱい息がしたくなる。









最近読んだ中で一番おもしろかったのは、ポール・オースターの「幽霊たち」。
自分の経験や、自分の見ている世界なんて、いかに不確定なものか。
美しい混乱だった。

混乱を与えたい。
最近はとかく、一から十まで説明する世界になっている。
子どもたちは、説明書を読みながら社会を歩むんだろうか。
崖っぷちの足元すら見えていないよ。

アリスのように混乱と不安にまみれて、考え続けて、わからないまま、10年後にふと答えが見つかる(こともある)。
そんな問いを投げて、考えさせてくれる大人ってかっこよくて、誠実だと思うのだ。
紅茶を飲んで、考える時間に付き合ってくれるのだ。
20年経ったってそんな大人になれている気はしないけど、
そんな大人に囲まれていることの幸運を正しく自覚したい。


2015年1月2日金曜日

あけましておめでとうございます。


あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

ずいぶん更新を怠っていましたが、その間いろいろありました。
10月より転職をして、今はまた京都に住んでいます。
引っ越しやらなんやらひたすらばたばたして、
ようやく一息つけたかな、と思うような、そうでもないような。

27歳として半年が過ぎ、もう半年で28歳になってしまうのですが、
その歳として持つべき自覚も、力も、相変わらずないままです。
未熟である、という自覚だけは持ち続け、日々勉強していきたいと思います。

勉強と、言語化の1年間にしたいです。

仕事も生活も随分変化があった2014年下半期でした。
2015年はどんな年になるのか、まだ想像もできません。
2014年の最初だって、こんなに変化があるとは想像もしていませんでした。
2015年だって、何かが起こるときは起こるし、
自分の身に目立つことが起こらなくても、きっと何かしらの変化はあるでしょう。
それが良い前進となるように、アンテナを張っていたいと思います。
改めて、今年も宜しくお願いします。


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転職後、読書の必要性がでて、今までより本を読んでいます。
備忘録的として2014年の年末までに読んだ本リスト。

永続敗戦論 白井聡
岡本清一政治評論集 20世紀を生きる
大学教育について J.S.ミル
これからの「正義」の話をしよう マイケル・サンデル
大学とは何か 吉見俊哉
自由からの逃走 エーリッヒ・フロム
短夜明かし 佐々木中
自由の問題 岡本清一
実存主義とはなにか サルトル
この世は二人組ではできあがらない 山崎ナオコーラ
福翁自伝 福沢諭吉
街場の大学論 内田樹
チェルノブイリの森 エマニュエル・ルパージュ
知ろうとすること 早野龍五
自由論 J.S.ミル
ジュージュー よしもとばなな
もの食う人々  辺見庸
暗鬼 乃南アサ

同じジャンルの本を続けて読むうちに、
点と点が繋がって、星座のように、もしくは蜘蛛の巣のように、
知識のネットワークが自分の中にできているような気がします。
とはいえまだまだちょっぴりですが。

「もの食う人々」がとても良かったです。
少し前のルポルタージュですが、「食」にフォーカスをあてて、世界中をまわった記録。
日本がいかに食に恵まれているのか、
生き物にとって、人の暮らしにとって、いかに食が大切か、見せつけられる本でした。

「食の恨み」を抱かない生き方をしていることを自覚させられました。

2014年6月3日火曜日

アフォガードにはまる初夏



真夏の暑い日、ゆらめく陽炎を眺めながら感じる退屈さは、夏休みの記憶だと最近気がついた。
蝉の声が聞こえて、足下から湯気が立ちそうな影の濃い真夏日。
仕事をしていて、夏休みなんて一週間もない、もうじき27歳の私でも、
夏のゆらめきは退屈でけだるくて、とても好きだ。

最近読み終わったのは、
湊かなえさんの「花の鎖」、
島本理生さんの「一千一秒の日々」、
ようやく読み終わった瀧本哲志さんの「僕は君たちに武器を配りたい」、
 デイヴィッド・ミーアマン・スコットとブライアン・ハリガンの「グレイトフル・デッドにマーケティングを学ぶ」。
二人がいかにグレイトフル・デッドを好きかよく分かって楽しそうな本だった。
あと、岡田斗司夫さんとかもこっそり読んでいる。
もうじき読み終えそうなよしながふみさんの対談集、「あのひととここだけのおしゃべり」は、
仕事に対するストイックさ、熱心さ、楽しさが伝わってきて、読み進める毎に、
「ああ、絵を描きたい!」「何かを作りたい!」と引っ張られるような本だ。
並行して読んでいる矢部 嵩さんの「〔少女庭国〕」は半分程読んだけどさっぱり展開が読めない。
今の段階ではそんなまさか、と思うようなことばかりだけど、
最後まで読み終わったらどうなるのか、早く読み終わりたい。

今週末は3年ぶり2度目の台湾に行きます。
台湾に関するレビューを集めた本も読んだけどそれはあんまりだった。
台湾が舞台の小説、吉田修一さんの「路(ルウ)」を読みたかったけど、行くまでには間に合わなさそう。
台湾は何度でも行きたくなるから、次の時までに読めたらいいな。